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東京23区銭湯情報

銭湯の歴史

知ってそうで意外と知らない。
知っててもそんなに自慢はできないけれど、きっとなにかの役に立つ!(はず)
そんな銭湯の歴史にゆったり浸かってみてはどうでしょう?

江戸における最初の銭湯は、天正19年(1591年)江戸城内の銭瓶橋の近くに伊勢与一さんが開業した蒸気浴によるものでした。
現在の湯槽式入浴は江戸時代から始まったもので、当時は湯船の手前に石榴口(ざくろぐち)という入り口が設けられていました。
石榴口のために中は湯気が モウモウと立ちこめ、暗く、湯の清濁さえわからないようにしたり、石榴口に細工をほどこして、客が一度使った湯をふたたび浴槽にいれたりもしていたらしいです。うーん。
そしてついに1879年(明治12年)には、政府は石榴風呂式浴場を禁止としたのです。

また、当時は老若男女が皆混浴だったようですね。
浴衣のような湯あみ着を着て入浴していたとも言われてます。
蒸気を逃がさないために入り口は狭く、窓もなかったため場内は暗く、そのために盗難や風紀を乱すような状況も発生したようで。。
ついに寛政3年(1791年)に「男女入込禁止令」や後の天保の改革によって混浴が禁止されてしまいました。

・・・が、必ずしも守られたかというと、そうでもなかったようですね。

また浴場、銭湯が庶民の娯楽、社交の場として機能していたようで、落語などが行われたこともあるようです。
特に男湯の二階には座敷が設けられていて、休息所として使われたようです。
当時の人たちは銭湯で心も体も癒していた、というわけですね。

なお、明治以前には、江戸では「銭湯」「湯屋(ゆうや)」と呼び、上方では「風呂屋」と呼ぶのが一般的だったようです。

また、当時は家に風呂を持てるのは大きな武家屋敷などに限られ、火事の多かった江戸の防災の点から内風呂は基本的に禁止されていたようです。
江戸末期には大店の商家でも内風呂を持つようになったものの、本格的な内風呂の普及は第二次世界大戦以降の高度成長期以降のようです。

明治に入ると外国への配慮から混浴は禁止されてしまうが、銭湯そのものは都市化、近代化の衛生観念の向上とともに隆盛を極めました。
特に戦後、本格的に都市人口が増大すると、各所で銭湯が建築されました。

昨今では休業日を利用して演奏会などを開催するような趣向を凝らした銭湯もあるようです。
それに銭湯は天井も高く、音も響くので演奏に向いているのかもしれないですね。

また、閉鎖した銭湯の内装を改築などしてカフェやギャラリーなどするなど、銭湯のたたずまいを生かした新しい試みもされているようです。

銭湯はいつの時代も人々の身体だけじゃなく心も癒しつづけている、というわけですな。
かぽーん。